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ロシアのイクラは黒と赤の二種類がある!

イクラといえば、すしなどに使われているサケやマスの卵の塩漬けで、赤いもの。そう思っていたら、ロシアでは違う。ロシアには、「赤いイクラ」と「黒いイクラ」の二種類があるのだ。赤いイクラは、日本と同じく、サケやマスの卵。では、黒いイクラは何なのかというと、じつは、チョウザメの卵のキャビアなのである。じつは、イクラの語源となったロシア語の「イークラ」は、「粒状卵」、つまり「魚の卵」を意味する。そして、「キャビア」というのは、同じ意味の英語の単語なのである。つまり、「イークラ」も「キャビア」も、本来、サケやマスの卵とか、チョウザメの卵というふうに、特定の魚の卵を意味するものではなかった。日本でいうキャビアだろうが、イクラだろうが、その他、タラコやカズノコなど、どんな魚の卵でも、ロシア語では「イークラ」、英語では「キャビア」なのだ。だが、日本では、「イクラ」といえば、もっぱらサケやマスの卵を塩漬けにしたものを出す。キャビアやタラコやカズノコを「イクラ」とはいわない。どうして、日本では、サケやマスの卵だけを「イクラ」と呼ぶようになったのだろうか?その由来は、日露戦争のときにさかのぼる。キャビアは世界の珍味で高価な食品。そうそういつも食べられるものではない。そこで、ロシア人は、サケやマスの卵を、キャビアの安価な代用品として食べていた。日本人は、ロシアに進軍したときにそれを見て、そのサケやマスの卵の食品のことを「イークラ」というのだろうと思い、日本に伝えた。それが定着し、現在にまで残っているというのである。

マンハッタンの歩き方

ニューヨーク、特にマンハッタンは、基本的に“歩く街”である。最近のニューヨークは、一時期よりずっときれいで安全になった。だが、世界中から様々な人々が集まる巨大都市だけに魅力と危険性が紙一重であることに変わりはない。それにもかかわらず、数多くの人々がそこに住み、摩天楼の立ち並ぶ中での暮らしを満喫している。何故だろう。現地で生活する人々の常識で危険地域、危険でない地域を巧みに選り分けているからである。その基準となっているのが、マンハッタンを碁盤の目のように区切るアベニュー(南北に貫く大通り・番外)とストリート(東西に抜ける通り・丁目)だ。“ビッグ・アップル”と呼ばれるニューヨーク。中でもマンハッタンは、番地(アドレスナンバー)を持つ街区(ブロック)に整然と分けられている。日本の住居表示とは違い、人工都市マンハッタンの番地は実に合理的で分かりやすい。南北に延びるアベニューの東側が奇数、西側が偶数で、東西に横切るストリートの北側は奇数、南側が偶数となっている。そしてもっとも南にある先端部分のロウアー・マンハッタンから北に上がるにつれ、番地の数字が増えていく。だから慣れてくると番地の数字によって、今自分がどこにいるか見当がつく。そこまでいかなくとも、縦のアベニューと横のストリートの名前を見て、例えば“パーク・アベニューと55丁目の角”だったら、自分がマンハッタンのほぼ中心にいることが分かるわけだ。このようにニューヨーク、特にマンハッタンはそこに暮らす住民にとっても、また初めて足を踏みいれた旅人にとっても、実に分かりやすい。分けられたマンハッタンの各地区。そこにつけられた名前はニューヨーカーにとって独特の響きを持つ。何故なら、この街に住んでいればその地区にどんな人々が住み、どんな雰囲気か名前を聞いただけでパッと分かるからだ。

八甲田丸が記念館として公開

『青い山脈』などで知られる地元出身の作家、石坂洋次郎は「物は乏しいが、空は青く、雪は白く、リンゴは赤く、女たちは美しい国、それが津軽だ」と故郷の魅力を簡潔に表現している。ここの殿様は津軽氏で常陸宮妃殿下華子さまの実家である。居城の弘前城には小さいが美しい天守閣が残り桜の名所として知られるほか、禅林坊には三三もの曹洞宗の禅寺が並ぶ。弘前には県庁は置かれなかったが、旧制弘前高校が設けられ現在では弘前大学となっている。県庁所在地の青森はもともと津軽藩支配下の港町。明治初年に青森県が誕生したときは、北海道の一部も領域に入っていたのもここに県庁が置かれた理由のひとつ。長らく青函連絡船の発着地で「上野発の夜行列車降りたときから青森駅は雪の中」という石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞でもおなじみである。しかし、一九八八年に青函トンネルが開通し、大阪発の「トワイライトエクスプレス」や上野発の「北斗星」など札幌まで直通の列車に人気が集まったりして、終着駅としてのにぎやかなムードは少なくなった。昔の青函連絡船の雰囲気を求めたい人には八甲田丸が記念館として公開されている。